3.11からのこと(その2) | IT徒然草 (gaia)

3.11からのこと(その2)

前記事から時間が経ち、すみません。先ほど震災からちょうど1ヶ月となりました。心は落ち着いてきつつありますが、あまり状況が変わっていない面も多いですね・・・

さて、あの日の続きを書いていきたいと思います。2011年3月11日15時25分過ぎ、地震発生から30分後です。
前の記事はこちら →http://ameblo.jp/gaia/entry-10840831689.html

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■3.11 次々と沿岸を襲い始める津波

部屋に戻りTV画面を見ると、津波は他の地域も襲っていた。たった10分前は穏やかだった気仙沼の港は波立ち、海が濁流のようになっていたのだ。

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15:28頃、気仙沼の様子。津波が湾を進んできて、大型船も流され始めた。
(カメラは気仙沼プラザホテル設置)

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15:30頃、銚子港では船が自制できず、防波堤に激突する瞬間。
(カメラは恐らく銚子ポートタワー設置。その後、各地の船は無力に流され、あらゆる場所にぶつかっていった)

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15:31頃、再び気仙沼港。巨大なタンクが流れていた(ヨコレイ気仙沼冷凍工場のものと思われる)。その後、次々とタンクは流される。

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15:31頃、同じ気仙沼。水煙が上がり、大きな船が多数流れ、GSにも津波が入り込んでいた。

このタイミングで大津波警報は、各地が10m以上になった。昔聞いたことのある三陸の大津波と同じではないか!

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15:33頃、気仙沼カメラが港ふれあい公園(エースポート)の市営駐車場を写す。観光桟橋が海から浮き、駐車場に激突。画像右側にある漁船も、同じように流れていった。屋上には車と人。この人たちはその後無事だったのだろうか・・・

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15:34頃、東京の九段会館。東京観光専門学校の卒業式が行われていたところ、天井が崩落し2名が死亡。築77年の建物だ。

この時間帯は次から次へと、津波や都市被災の状況が目まぐるしく展開していて、日本の中で同時多発的に悲惨なことが起きているに違いないと感じた。三陸方面は大変なことになったと容易に想像できるが、自分の住む首都圏がどの程度無事なのかは、あまり分からなかった。

なおこの頃までに、近くのネットカフェにいた仲良しのSちゃんからメールが入ってきていた。

14:57 「カフェの本棚とかテレビとかドサドサ落ちてきた」
15:06 「エレベーターは動かないって まだ揺れてるね」
15:09 「○○(娘さん)からメールきた 大丈夫だって」

後で聞いてみると、壁にあるものは軒並み倒れてきて、慌ててTVを抑えたそうだ。ビルにいた人は大変だったのだろう。

お互いドコモ携帯を使っているが、当然通話は無理。回線交換部分はNGだ。但し、パケット通信側は意外と使えそうだった(後で調べると、80~90%の規制を行っていた)